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青森地方裁判所 平成元年(ワ)312号 判決 1993年3月16日

原告

本郷弘毅

右訴訟代理人弁護士

川田繁幸

山内満

虻川高範

横山慶一

被告

青森放送株式会社

右代表者代表取締役

奈良和麿

右訴訟代理人弁護士

長谷川靖晃

石田恒久

主文

一  被告は、原告に対し、金九〇万五八〇〇円及びこれに対する昭和六三年一二月一五日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告の、その一を被告の各負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告の請求

一  原告が被告との間に労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二  被告は、原告に対し、平成元年一一月から平成五年一〇月まで毎月二五日限り金五三万八八四〇円を支払え。

三  被告は、原告に対し、金七三六万三七三〇円及び内金九〇万五八〇〇円につき昭和六三年一二月一五日から、内金八六万五五九〇円につき平成元年七月一日から、内金一八五万一九六〇円につき同年一二月一六日から、内金一八五万〇四四〇円につき平成二年六月二三日から、内金一八八万九九四〇円につき同年一二月二二日からそれぞれ支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  当事者間に争いのない事実

1  被告は、青森県において一般放送事業を行う株式会社である。

2  原告は、昭和八年一〇月一三日生まれであり、昭和三四年に被告に入社した。

3  被告には、労働組合として青森放送労働組合(以下「労組」という。)があり、原告は右組合に所属する組合員である。

4  被告においては従前から就業規則により定年は退職事由とされ、定年年齢は五五歳と定められていた。

5  被告と労組とは、従来の賃金体系を改訂し、五五歳から六〇歳までの本給は五四歳時の本給を固定して支給する旨の内容を含む新しい賃金体系(以下「新賃金体系」という。)を昭和六二年四月一日付けで実施することに合意し(以下「本件協定」という。)、同年六月一一日付けで協定書(以下「本件協定書」という。)を作成するとともに、定年延長について、昭和六三年四月一日以降、定年年齢を一年に一歳ずつ段階的に延長し、昭和六七年四月一日以降満六〇歳とし、その適用者は別紙1(略)記載のとおりとするとともに、五五歳以上の従業員に対する給与は、五四歳時の基準内賃金を固定して支給し、賞与は、五四歳以下の従業員の支給方式によって計算された基礎支給額の五〇パーセントとする等の内容を含む覚書(以下「本件覚書」という。)を取り交した。

6  被告は、本件協定締結後に、従前の就業規則と給与規程を改訂した新しい就業規則(以下「本件就業規則」という。)と給与規程(以下「本件給与規程」という。)を施行した。本件就業規則において、定年は引き続き退職事由とされた(六三条)上、定年については六五条において本件覚書のとおり改訂され(以下、被告の定年制を「本件段階的定年延長制」という。)、また、本件給与規程において、五五歳以降の給与についても本件覚書のとおりに改訂された。

7  被告は、原告に対し、賞与として昭和六三年一二月一四日に金九〇万五九〇〇円を、平成元年六月三〇日に金八六万五五九〇円をそれぞれ支給したが、右支給額は、五四歳以下の従業員に対する支給率の半額であった。

8  原告は、平成元年一〇月一三日に五六歳になった。なお、原告の五六歳時の月給は、金五三万八八四〇円であった。

二  本件の争点

1  原告が被告との間で労働契約上の権利を有する地位にあり、原告は、被告に対し、請求の趣旨二記載の賃金の支払請求権を有するか。

(一) 被告と労組との間で本件覚書を取り交したことにより、被告と労組との間に本件段階的定年延長制について合意が成立したか。

(二) 本件段階的定年延長制を定めた本件就業規則六五条は無効であるか。

(三) 被告と労組との間に、本件段階的定年延長制について合意がない場合、あるいは本件就業規則六五条が無効である場合、被告において、六〇歳定年制が適用されるか。

2  原告は、被告に対し、未払いの賞与として請求の趣旨三記載の金員の支払請求権を有するか。

三  争点についての当事者の主張

1  争点1(一)(被告と労組が本件覚書を取り交したことにより、被告と労組との間に本件段階的定年延長制について合意が成立したか)について

(一) 原告

被告と労組との間で、本件協定に合意して本件協定書を作成するとともに、本件覚書を取り交したことはあるが、労組が本件段階的定年延長制に合意したことはない。

被告は、段階的定年延長制に関する本件覚書は、段階的定年延長制と新賃金体系の実施を一体のものとしていると主張するが、労組は、段階的定年延長制に反対していたものであり、労使の合意として労働協約としての法的性格を持つ協定書の内容は賃金体系に限定し、段階的定年延長制については、被告が実施する予定である定年延長は段階的定年延長制であることを明確にしておくために覚書として残しておいたものである。したがって、労組が段階的定年延長制に合意したということはない。

(二) 被告

本件就業規則作成に至る経緯は、次のとおりである。

被告は、昭和六〇年ころ、従前の賃金体系は時代の趨勢に合わない不合理な点もあったことから、新賃金体系を整備する必要に迫られていた。他方、労組も従来の賃金体系の改善を再三にわたり要求していたほか定年延長も要求していた。被告は、定年延長は賃金コストの増大を始め、高齢者従業員の処遇等の問題に直面するのみならず、これは定年延長に際しての退職金支給基準、定期昇給の停止の有無等、賃金体系の見直しに直結するところから、賃金体系の変更と定年延長とは一体であり、切り離して処理することはできない旨労組に告げ、昭和六二年四月以降労組と協議を進めた。そして、被告と労組との間で数度にわたり協議した結果、昭和六二年六月一一日付けで新賃金体系及び定年の段階的延長について合意するに至り、これを同年四月一日付けで実施する旨の本件協定書及び右実施方法及び段階的定年延長の実施内容についての本件覚書を作成し、取り交すに至った。

したがって、本件就業規則は、被告と原告の所属する労組との間の右合意に基づいて作成されたものであるから、本件就業規則の規定により原告は平成元年一〇月一三日をもって定年退職したものである。

2  争点1(二)(本件段階的定年延長制を定めた本件就業規則六五条は無効であるか)について

(一) 原告

(1)公序良俗違反

<1> 労働権は、人に労働意欲と能力がある限り保障されるべきものであり、いかなる者であっても、「人間としての能力を実現」し「積極的に社会に寄与する」労働の場を労働者から合理的理由なく奪い去ることはできない。定年制は、労働者が一定の年齢に達したことをもって会社から退職させる制度であるところ、昭和三六年ころまでは、定年の五五歳と平均寿命とは接近しており、また、当時の栄養状態・医療水準あるいは長時間労働といった苛酷な労働条件等を考慮すれば、五五歳定年制は、ある意味では引退に合致した形での定年退職であり、さほど不合理なものではなかった。しかし、昭和四五年に労働科学研究所が実施した高年齢労働に関する事業所調査によれば、高年齢者の労働能力は殆ど減退しないことが実証され、この調査から二〇年以上経過し、高年齢者の寿命が格段に伸び、また高度医療の成果もあって高年齢者の心身状態が向上している今日においては、高年齢者の労働能力保持に疑いを差し挟む余地はなく、現に労働省の「高年齢者就業実態調査」(昭和五八年度)によれば、六〇歳時で七五・八パーセント、六五歳時でも六二・五パーセントと半数以上の高年齢者が就業しているという結果が出されていることからすれば、少なくとも六〇歳までは現に労働意欲も労働能力もあると認められる。そうすると、六〇歳未満定年制は、六〇歳未満の一定の年齢に到達したという自然的事実のみをもって、右のとおり働く意欲と能力を有する五五歳以上の高年齢者の労働の場を、個々人の個別的な働く意欲と能力の有無を問わずに、一律に奪うものである。そして、ILO(国際労働機構)の「高年齢労働者に関する勧告」(一六二号)は、「各加盟国は、年齢にかかわらず労働者の機会及び待遇の均等を促進するための国家の方針並びにこの問題に関する法令及び慣行の枠内で、高年齢労働者に関し雇用及び職業における差別待遇の防止のための措置をとるべきである」(三項)、「労働生活から自由な活動への段階的移行を認める枠内で、引退が任意的であることを確保する」(二一項)と規定した上、二二項において「特定の年齢の雇用の終了を強制的なものとする法令その他の規定は、三及び二一項の規定に照らして検討されるべきである」と規定していること、及びアメリカにおいても年齢制限の「合理的な必要性」は、当該の「職務の本質的部分」とのかかわりにおいて認められなければならず、また、あくまでも個々の労働者の職務遂行能力をもとにして判断されるべきものとした判例理論が確立していることからしても、六〇歳未満の年齢の経過によって労働能力が一般的減退をきたしたことを根拠とする六〇歳未満定年制の主張は、科学的根拠を欠いたものというほかなく、しかも、国際的にも通用し得なくなったものである。従って、本件段階的定年延長制は、憲法二七条の労働権保障の精神に反し、かつ理由なき年齢差別として憲法一四条の趣旨にも反するものである。

<2> また、定年退職に伴って退職金が支給されるが、退職金が支給されることをもって六〇歳未満定年制の合理性を裏付けることはできないし、退職金があっても、核家族化が進展し、高年齢者が子の扶養をあてにできない現状では、五五歳で定年になった高年齢者は、五年後あるいは一〇年後に年金を受給するまでその退職金で生活する必要があるのに、現状の退職金の水準では底をつくのが目に見えており、原告自身、六〇歳に至るまで家計収支の赤字が約一〇〇〇万円に達することが見込まれているのであって、その間再就職をするとしても、再就職自体極めて困難であり、また再就職できたとしても、その賃金水準は、五五歳までの賃金と比べれば四〇パーセントの格差がある。このような実態に鑑みれば、六〇歳未満定年制は、高年齢労働者について憲法二五条で保障されている生存権をも侵害しているというべきである。

<3> このように六〇歳未満定年制には問題があるところ、我が国における定年年齢別企業数割合の推移をみると、五五歳定年制を適法とした最高裁判所昭和四三年一二月二五日大法廷判決(秋北バス事件)から六年後の昭和四九年度では五五歳以下定年制は五〇パーセントを超えており、六〇歳以上定年制を定めた企業は三〇パーセント台であり、六〇歳以上定年制は少数であったが、昭和五五年度になると、五五歳以下定年制と六〇歳以上定年制とはほぼ同じ割合の四〇パーセントとなり、それ以後、六〇歳以上定年制をとる企業割合が五五歳以下定年制をとる企業割合を上回り、その後確実に六〇歳以上定年制の割合が上昇していった。特に、昭和六〇年から昭和六二年にかけて停滞していた六〇歳以上定年制の普及率は、昭和六三年以降において急激に高まり、労働白書(平成四年度版)によれば、平成三年度では七〇・八パーセントとついに七割を超える水準に達し、もはや五五歳以下定年制は一割余りと過去の遺物となり、六〇歳定年制が大勢を占め定着をみるに至った。そして、六〇歳以上定年制を定めている企業において勤務延長制度又は再雇用制度を導入している企業は、従業員数一〇〇人から二九九人規模でみると、平成三年度で七一・五パーセントにものぼっている。

また、被告と同様放送を業とする同業他社の定年制実施状況をみると、平成三年一〇月三一日現在で、全国八一社中、六〇歳定年制を実施している企業は六六社(七七・七パーセント)に及び、さらに少なくとも六〇歳まで再雇用をしている企業も含めると六九社(八五・二パーセント)となっており、また、六〇歳定年制を実施していない企業においても、当面所定の定年到達者がいないという意味で六〇歳定年制実施の緊急性を持たない企業を除くと、六〇歳までなんらかの形で雇用継続している企業はほぼ一〇〇パーセントといってよい。

このような六〇歳以上定年制の普及率からすれば、六〇歳未満定年制はもはや過去のものとなったというべきであり、それにもかかわらず、今日においてもまだ被告が六〇歳完全定年制を実現せずにいることについては事業経営上特段の事情がなければならないというべきである。

<4> ところで、高年齢者等の雇用の安定等に関する法律(以下「高年齢者雇用安定法」という。)四条の規定は、六〇歳定年制への努力義務規定であるが、同条が六〇歳定年制の一般化がなかなか進まない現実や前記ILO一六二号勧告に現れた国際動向から政府において立法化要求を無視できなくなって制定されたという経緯に照らせば、四条の努力義務規定は、事業主が六〇歳定年を単に法的理念として尊重すればよいというような理念的規定としてではなく、事業主において六〇歳定年を採用することが困難である、あるいは必要がないというような特段の事情のない限り、事業主は、定年制を採用する場合はその年齢を六〇歳以上にすることが社会的に強く要請されている厳格な努力義務規定と捉えなければならない。したがって、そのような特段の事情がないにもかかわらず、六〇歳未満定年制を定めることは、その定年制の社会的妥当性・合理性を疑わしめるものというべきである。

被告の場合、昭和六三年度以降、被告の営業収入、期末利益は好調な成績を示し、青森県内の法人所得の上位にランクされ、財務内容は以前と比較して健全化しており、この傾向は今後も続くものと見込まれる。また、被告は、年間約七億円の下請け費用を支払っており、そのうち、コマーシャルの編集作業に要する下請け費用は年間約二億円であるが、右編集作業について下請けを中止し、設備投資の上、社員を二人増員すれば、その経費は半分以下で済むものである。さらに、被告は、平成元年度に五〇〇〇万円、平成二年度は二億円、平成三年度は三億五〇〇〇万円の社内留保を決算に計上している(それぞれ単年度分)。このように、被告の財務内容は極めて好調、健全で、かつ、支出削減の余地もあり、また、被告より財務内容の劣る秋田放送でも六〇歳定年制を採用していることからすれば、被告において、六〇歳定年制を即時実施するについて経営上何らの支障はない。

そうすると、被告においては、六〇歳定年制を採用することが困難である、あるいは必要がないというような特段の事情は認められないから、本件段階的定年延長制は、その社会的妥当性と合理性につき疑いがあるというべきである。

<5> 以上のとおり、本件段階的定年延長制は、憲法の保障する生存権・労働権並びに平等権を侵害し、労働基準法の差別禁止規定の趣旨にも反するものであり、一般企業及び民放他社の六〇歳定年制の実施状況に鑑みれば、国際的及び国内的に確立した社会的コンセンサスに背くものであり、また、被告は、六〇歳完全定年制を実施できる財務内容を持ちながらそれを実施しないことは高年齢者雇用安定法に定める努力義務に違反するものであるから、結局、本件段階的定年延長制は、到底合理性を持ち得ないものであり、民法九〇条の公序良俗違反として無効である。

(2) 労働協約違反

原告の所属する労組は、昭和三八年ころから、定年を六〇歳とするように被告に要求してきたところ、昭和五四年一一月二一日に被告の奈良常務(当時)が「法的に決まればそれに従う。」と発言し、昭和五九年五月一六日の被告と労組との間の団体交渉の場において、労組から法律ができるまでに段階実施でもよいから定年の延長をするように要求したところ、奈良常務は「定年延長はやるなら一気にやる。」という発言をし、昭和六〇年一〇月一五日の被告と労組との間の団体交渉において、被告は定年延長について「法制化されれば尊重する。」と表明したが、労組としては、定年延長の即時実施を求めていたため妥結には至らなかった。しかしながら、右交渉の経過からすれば、被告と労組との間に六〇歳定年延長について明示の合意はないものの、少なくとも、六〇歳定年制の実施時期については、「法律制定の時」という黙示の合意ないし、実質的に合意が成立したと同視し得る事情があり、これにより労働協約が成立したものである。そして、昭和六一年四月一一日に事業主に六〇歳定年制実施の努力義務を課した高年齢者雇用安定法が成立し、同年一〇月一日から施行された。したがって、同法が制定されたにもかかわらず、六〇歳定年制を採用していない本件就業規則は、右の労働協約に違反し、無効である。

(3) 期待権侵害

前記(2)記載の被告と労組との間の六〇歳定年制を巡る交渉経過から、原告は、高年齢者雇用安定法の成立・施行に伴い、被告においても六〇歳定年制が実施され、六〇歳まで雇用が継続されるものという期待を持っていた。ところが、被告は、本件段階的定年延長制を採用したにとどまり、その結果、原告は六〇歳未満で退職したものと扱われたのであるから、本件段階的定年延長制は原告の期待権を侵害するものとして無効である。

(4) 不当労働行為

本件段階的定年延長制実施後平成二年三月までに定年年齢に達したことを理由に被告を退職したものとして扱われた者は、原告を含めて九名いるが、このなかで原告を除いて再就職を希望した六名については、全員被告の関連企業等に再雇用される形で雇用を確保されている。これらの者は全員が在職中部長以上の地位にあった点において原告とは異なる面を持っているが、部長以上の地位にあったことが再雇用の成否の理由となっているのであれば、被告においては、非組合員であればほぼ部長職につけるが、組合員が部長職につくことはまれであるという実態に鑑みると、それは、組合員であることを理由にした再雇用拒否という不当労働行為である。また、再雇用の成否が、部長以上の地位にあったことではなく、個々人に対する業務上の必要性の有無にあったのであれば、原告が勤務していた放送実施部は慢性的に要員不足の状態であり、要員の増員が要求されていたにもかかわらず、被告は、午後一〇時以降の業務にアルバイト(後には関連企業からの派遣労働者)を充てることでまかなおうとしたため、放送事故が多発したという状況にあった。したがって、被告において、原告の雇用を継続して、放送実施部の業務を正常に行っていくという業務上の必要性があったにもかかわらず、再雇用を希望していた原告に対しその機会すら付与しなかったのは、労組の組合員である原告を被告から排除しようとしたためであるから、被告の行為は不当労働行為にあたる。そして、このような不当労働行為を可能にしているのが、本件段階的定年延長制であるから、本件段階的定年延長制は不当労働行為として無効である。

(二) 被告

(1) 公序良俗違反の主張について

<1> 原告は、ILO勧告やアメリカにおける雇用における年齢差別禁止法理を本件段階的定年延長制が公序良俗に違反していることの根拠の一つとして主張するが、ILO勧告にもかかわらず、我が国の立法・行政が、我が国独自の年功序列制、年功賃金制度、多大な退職一時金制度、そしてこれらの一環として生じてきた独自の定年制ゆえに、個人主義の国アメリカのように現時点で定年制の排除を一律に法定できないでいることは、高年齢者雇用安定法の改正経過に如実であるから、原告の主張は理由がない。

<2> また、原告は、六〇歳未満定年制は、憲法の保障する生存権等を侵害し、公序良俗に反するものであると主張するが、我が国の年金の水準は、昭和五〇年代に欧米諸国とほぼ同じか、もしくはやや上回る水準になったといわれている上、我が国においては、欧米諸国にはない退職一時金制度もあり、原告に対しては、退職金として金一七六六万円、企業年金として毎月金九万五八一九円が支払われており、右金額に加えて原告が満六〇歳になると厚生年金として毎月金一九万七四〇〇円程度の支給が予想されることを考慮すれば、本件段階的定年延長制に基づく退職により原告の生存権等が不当に脅かされているということはできない。

<3> さらに、原告は、高年齢者雇用安定法四条は厳格な努力義務規定であり、六〇歳定年制を採用することが困難である、あるいは必要がないというような特段の事情がないにもかかわらず、被告が六〇歳未満定年制を採用したことは公序良俗に違反し無効であると主張するが、高年齢者雇用安定法の立法経過からすれば、同法は、事業主と国との関係を規律するものであって、私人間の私法上の効果を定めたものではなく、同法四条の二の労働大臣による定年の引き上げ要請の規定も、定年の引き上げが企業の経営、雇用管理と深いかかわりがあり、つとめて事業主の自主的努力によって実現されることが適当であるとの立場から事業主に対し努力義務の履行を求めるものであり、はじめから事業主に対し定年の引き上げ計画の作成を命ずることはしていないし、命令・勧告より弱い形式の要請による行政措置を講ずることとするにとどめていることからしても、原告主張のような解釈を取り得ないことは明らかである。

また、高年齢者雇用安定法の施行日は昭和六一年一〇月一日であるが、被告は、一年半経過後の昭和六三年四月一日以降、本件段階的定年延長制を実施しているのであって、被告と同種の民間放送会社のうち、平成元年において六〇歳定年制を実施した会社はむしろ少数であり、多数は段階的定年延長方式をとっており、東北地方で即時六〇歳定年制をとった会社は見当たらないという実態からすれば、被告は、完全とはいえないとしても、同法四条に定める努力義務を誠実に履行しているといえる。

しかも、青森県内企業常用労働者一〇〇人以上の規模の民間企業三一一社を対象とした平成元年度高年齢者雇用状況調査結果によると、一律定年制を定めている企業のうち、六〇歳以上の定年年齢を定めているのは一〇六企業、三九・三パーセントにすぎず、六〇パーセント強の県内企業は平成元年度において定年年齢を六〇歳未満としている。原告の主張によれば、一〇〇名以上の常用従業員の規模の県内企業のうち、六〇パーセント強の会社における定年退職はすべて無効という結論となるが、このような結論が容認されるなら、多数の県内企業は賃金・退職金コストの急激な増大により企業維持そのものも困難となることが容易に予想され、社会常識に反する結果を導くことになることからしても、六〇歳未満定年制が社会的妥当性を欠き公序良俗に違反して無効であるとはいえない。

<4> 以上のとおり、高年齢者雇用安定法の立法経過及びその仕組み、被告が本件段階的定年延長を実施した時期、原告が退職した平成元年一〇月一三日の時期における民間放送各社における六〇歳定年制の実施の状況、同時期における青森県内の企業における六〇歳定年制実施企業の割合等に鑑みると、本件段階的定年延長制が公序良俗違反であるということはできない。

(2) 労働協約違反の主張について

奈良常務の「定年延長はやるなら一気にやる。」との発言は、当時被告と労組との間で懸案事項とされていた新賃金体系表の作成と定年延長を同じ機会に整備・実施するという趣旨である。六〇歳定年制の是非は、企業の人事管理の根幹にもかかわることであり、定年延長に伴う給与の増額、退職金制度の見直し等、企業の賃金体系全般にまで影響を与えるものであるから、被告と労組との間で定年延長をめぐって、右の各点について詳細な協議がなされ、合意事項の要点について文書による調印がない限り、通常一般に労使間の労働協約の成立は認め難い(労働組合法一四条)。本件において、奈良常務の右発言が存在したとしても、それだけの内容で、被告と労組との間に原告が主張するような六〇歳定年制実施の労働協約が成立したということはできない。

(3) 期待権侵害の主張について

原告は、本件就業規則六五条は原告の期待権を侵害するものであり無効であると主張するが、原告が六〇歳定年制の採用について個人的な期待を抱いていたとしても、それを期待権と評価することはできない。

(4) 不当労働行為の主張について

原告は、本件就業規則は不当労働行為に該当し無効であると主張するが、本件就業規則六五条は、労組の組合員であるか否かにかかわらず適用されるものであるから、同条の適用は何ら不当労働行為にあたらない。

原告は、定年前の平成元年の夏頃から、自らの定年日である同年一〇月一三日以後に本件段階的定年延長制は無効であるとの訴えを提起し、自らが原告となる旨の意図を表明していた事実があり、右訴訟で闘うことは同年九月二一日の労組の定期大会で承認され、右は翌日に文書により広報されている。そして、現実に定年退職日の三日後である同年一〇月一六日に本訴を提起した。右事実から容易に判明するように、原告から被告に対し、原告について定年制適用排除の申し入れ、又は雇用継続の申し入れはあったものの、被告は、原告から再就職の斡旋又は口利きを依頼されたことはないし、その余地もなかった。仮に、右余地があったとして、労組の承認を背景に原告を特別扱いしたとすれば、組合員に対する逆差別であり、逆の意味での不当労働行為問題が生じ得るわけであるから、被告が原告にたいしてだけ定年制を特別適用しないという取扱いをすることは不可能であった。

3  争点1(三)(被告と労組との間に、本件段階的定年延長制について合意がない場合、あるいは本件就業規則六五条が無効である場合、被告において六〇歳定年制が適用されるか)について

(一) 原告

(1) 原告の所属する労組は、昭和三八年ころから、定年を六〇歳とするように被告に要求してきたところ、昭和五四年一一月二一日に被告の奈良常務(当時)が「法的に決まればそれに従う。」と発言し、昭和五九年五月一六日の被告と労組との間の団体交渉の場において、労組から法律ができるまでに段階的実施でもよいから定年の延長をするように要求したところ、奈良常務は「定年延長はやるなら一気にやる。」という発言をし、昭和六〇年一〇月一五日の被告と労組との間の団体交渉において、被告は定年延長について「法制化されれば尊重する。」と表明したが、労組としては、定年延長の即時実施を求めていたため妥結には至らなかった。しかしながら、右交渉の経過からすれば、被告と労組との間に六〇歳定年延長について明示の合意はないものの、少なくとも、六〇歳定年制の実施時期については、「法律制定の時」という黙示の合意ないし、実質的に合意が成立したと同視し得る事情があり、これにより労働協約が成立したものである。そして、昭和六一年四月一一日に事業主に六〇歳定年制実施の努力義務を課した高年齢者雇用安定法が成立し、同年一〇月一日から施行された。

したがって、同法の制定により被告と労組との間において六〇歳定年制が適用されることになる。

(2) 本件段階的定年延長制は、前記2(一)主張のとおり無効であるところ、被告の就業規則二条において就業規則の条項が法令に合致しない場合には法令に従う旨が定められているので、高年齢者雇用安定法の趣旨である六〇歳定年制が被告の従業員に適用されることとなり、原告は、六〇歳に達するまでは、被告との間で労働契約上の地位を有することになる。

(二) 被告

(1) 原告は、被告と労組との間で、六〇歳定年延長について「法律制定の時」という黙示の合意ないし実質的な合意による労働協約が成立したと主張するが、前記2(二)(2)のとおり、そのような労働協約が成立したと認めることはできない。

(2) 原告は、本件段階的定年延長制は無効であり、就業規則二条を根拠に高年齢者雇用安定法の趣旨である六〇歳定年制が適用されると主張するが、高年齢者雇用安定法には、労働者の定年を六〇歳と定める旨の強行規定がないことは法文上明らかであり、また、同法は、事業主と国との間の関係を規律するものであって、私人間の私法上の効果を定めるものではないから、被告の就業規則二条を根拠に六〇歳定年制が被告において適用されることになるということはできない。

4  争点2(原告は、被告に対し、未払いの賞与として請求の趣旨三記載の金員の支払請求権を有するか)について

(一) 原告

(1) 本件給与規程四六条三号(平成二年(ワ)第三六七号事件の乙一)には、五五歳以上の従業員に対する賞与については、五四歳以下の従業員に対する賞与の半額とする旨の規定がある(以下「本件半額条項」という。)が、本件半額条項は、次の理由により違法、無効である。

六〇歳定年延長は、社会の要請であり、六〇歳未満の定年が公序良俗に違反することは既に主張したとおりであるが、定年を六〇歳に延長すれば、その労働条件はどのようなものでもよいというわけではなく、定年を六〇歳に改める場合、その人事管理の基本は、入社から少なくとも六〇歳定年退職までを基幹労働力として活用していくという、いわゆる一貫した人事管理の考え方に基づくものであることは、社会に承認された定年延長の条理であるから、労働条件もその条理に沿って決定されなければならない。ところが、本件半額条項のように、五五歳を超えた途端にその賞与について五四歳以下の賞与の半額に切り下げるということは、右の条理に沿ったものとはいえず、しかも、被告においては、五五歳以上の労働者についても、従前の職種から外すことなく、五四歳時と同様の労務を提供させているのであり、賃金が労働の対価であることに鑑みれば、五四歳時と同様の賞与を受け取ることは当然のことであり、それを半額とするには、なんらかの合理的な理由が必要であるが、そのような理由は存在しない。したがって、本件半額条項は無効であり、原告は少なくとも五四歳以下の従業員と同様の割合による賞与を受け取るべき地位にある。

そうすると、原告が受け取るべき賞与の額は、被告の五四歳以下の従業員に支給された賞与の計算方法に基づいて計算すると、別紙2(略)のとおりとなる。

(2) 被告と労組は、昭和六三年一二月一二日、同年の年末賞与に関して、その支給額を原告を含む組合員一人平均一四七万五〇五〇円(本給の四・五月分)とし、支給日を同月一四日とする旨の協定(以下「本件賞与協定」という。)を締結した。

したがって、本件半額条項が有効であったとしても、別紙2のとおり、被告は、原告に対し、本件賞与協定に基づいて、原告に支給すべき昭和六三年年末賞与金一八一万一七〇〇円から支給済の金九〇万五九〇〇円を控除した未払い残金九〇万五八〇〇円を支払う義務を負う。

なお、被告は、本件賞与協定は、原告に関しては錯誤により無効であると主張するが、仮に被告になんらかの錯誤があったとしても、被告と労組とは、本件賞与協定締結にあたり、何度もの折衝及び回答を経た上、被告が回答を示し、これに対し労組が一〇日間の議論を経て妥結したものであり、しかも、本件賞与協定書は被告の方で作成したものであって、もし、その過程において被告に錯誤があったとしても、当然訂正等ができたことからすれば、被告に重大な過失があったというべきである。

(二) 被告

(1) 本件半額条項の有効性について

被告では、五五歳以上の従業員の賞与は五四歳以下の従業員の支給方式によって計算された支給額の半額になっているものの、月例賃金は五四歳時の賃金が固定されており、原告自身定年延長による五五歳から五六歳までの一年間に支給された賃金総額は、五四歳から五五歳までのそれの八四・九パーセントに達している。原告以外の定年延長者もほぼ同様で、平成元年度退職者九名、平成三年度退職者一〇名の各賃金総額の平均は、延長前の年に比較すると、八四・一パーセント、八三・八パーセントとなっている。これは、定年延長に伴う収入についての民放各社の例からみても、かなり高比率の方に属する。そして、定年延長後の福祉、高齢化対策として、主として東京一部上場企業を対象とした新賃金諸制度実例集によっても、定年延長後は、賃金が八〇パーセントに減額されることは、一般的に認められている。しかも、被告では、定年延長に基づく退職金は賞与の額を基礎とせず、本給を基礎として勤続年数に通算して支給されるので、定年延長にともない、退職金支給額は増加する。

賞与の半額は月例賃金の固定と連動したものであるが、被告においては、昭和六一年度の税引後利益は金五二〇〇万円と最低となり、他方で、県内第三局の民放会社の誕生となる郵政省のテレビジョン放送用周波数割当計画の修正通知が昭和六一年に出された。

被告は、このような、営業収入の横這いが予想される情勢下において、年間約二億円の人件費増を見込んだ新賃金体系の実施並びに昭和六三年度からの本件段階的定年延長制の実施に踏み切ったものである。

したがって、定年延長に伴う賞与の半額条項は、労働者の定年延長という利益を図りつつ、企業維持の観点から人件費コストの試算等を踏まえたぎりぎりの調整により労組との合意のもとに生まれたものであり、高度の必要性を有することは明らかである。

したがって、本件半額条項は有効であるから、原告の主張は理由がない。

(2) 本件賞与協定について

被告と労組との間で、原告主張のとおり、昭和六三年一二月一二日、同年の年末賞与に関して、その支給額を組合員一人平均一四七万五〇五〇円とする労働協約(本件賞与協定)を締結したが、被告としては、従来の慣行として協定書に記載された組合員一人平均支給額の算定にあたり、誤って原告を五四歳以下の組合員の一人として頭数の対象とし、全組合員について本給の四・五月として計算したものである。したがって、これは表示行為に錯誤があったことになるから、民法九五条により、原告に対する関係では労働協約は無効となる。しかも、本件賞与協定に表示された金額は、平均額の表示であり、原告に対する支給額として表示されたものではないから、被告が原告個人に対し右金額を格別支払うと確約したものではない。したがって、被告が、原告に対し、本件半額条項に基づいて五四歳以下の組合員の支給方式によって計算された平均支給額の半額を支給したことはなんら違法ではない。

第三争点に対する判断

(書証については、特に明記するのでない限り平成元年(ワ)第三一二号の書証目録の番号である。)

一  争点1(一)(被告と労組との間で本件覚書を取り交したことにより、被告と労組との間に本件段階的定年延長制について合意が成立したか)について

1  証拠及び当事者間に争いがない事実によれば、次の事実が認められる。

(一) 原告の所属する青森放送労働組合(労組)は、昭和三八年から、定年を五五歳から六〇歳に延長するように被告に要求してきた。そして、昭和五四年になってから、労組において、定年延長問題を積極的に取り上げることになり、被告においても、同年一一月に行われた労組との団体交渉の席上、奈良和麿常務(当時)が「法的に決まればそれに従う。」と発言するなどして対応していた。その後、昭和五九年に行われた被告と労組との間の団体交渉の席において、労組から定年の延長を要求したところ、奈良和麿専務(当時)は「定年延長は法律ができれば一気にやる。」という発言をし(<証拠・人証略>)、昭和六〇年一〇月に行われた被告と労組との間の団体交渉において、被告は、定年延長について「法制化されれば尊重する。」旨表明した(争いがない)。

(二) 昭和六二年当時、被告と労組との間においては、定年延長問題以外に被告の従業員間の年令別賃金格差と被告と同一規模の他の放送会社との間の賃金格差を是正することが課題となっていた(<証拠・人証略>)。

(三) 被告は、昭和六二年四月一五日、労組に対し、賃金格差解消と定年延長についての被告側の提案として「新賃金体系のおとどけについて」と題する書面を交付し、労組として被告の提案を検討するよう求めた。右書面は、「新賃金体系の概説」「定年延長について」「給与規程(案)」からなっていたが、定年延長問題については、本件段階的定年延長制と同じ内容の段階的定年延長制が提案されていた。また、新賃金体系によれば、従前の賃金体系のもとで生じていた被告従業員間での賃金格差及び被告と同一規模の民放会社との間の賃金格差がほぼ是正されることとなっていた(<証拠・人証略>)。

(四) 被告と労組とは、賃金協議会において前記「新賃金体系のおとどけについて」と題する書面をもとに協議することになり、賃金協議会は、昭和六二年六月五日、九日、一八日及び三〇日の四回にわたって行われた。賃金協議会には六月五日の第一回の協議会に、被告側から長谷川孝典人事部長(当時)のほかに高森総務局長が出席した以外は、全て被告側の長谷川人事部長と労組の津村賢執行委員長(当時)の二人が出席して協議が進められた。

賃金協議会においては、予め、(1)新賃金体系は案であり、訂正はありうる。欠落や矛盾点を洗い出し、詰めてゆく。(2)問題点を協議し、解決できるものは解決し、出来ないものは出来ないものとはっきり整理する。(3) 新賃金体系実施に必要な源資には枠がある。風船に例えれば、限界までふくらませた状態であり、風船にはコブはつけられない。(4)新賃金体系は必ず実施するという気構えで六月一〇日を合意日のリミットとして協議する。(5)協議会で解決できないものは、新賃金体系実施後でも団交等により解決策をさぐる、ということが労使間で合意された。

そして、賃金協議会において、労組から定年延長問題を含め二〇の提案ないし要望が出され、労組から、「定年延長については、以前一気に六〇歳にすると約束していた。段階的実施により裏切られたという不信感が強い。」という話が出たが、被告は、「賃金体系を実施する時、一気に定年延長も発表したいということだったと理解している。事実、賃金体系の究極のねらいは、いかにすれば早期に定年の延長案が出せるかにあった。一気に実施したいのが本意であるものの、早期実現を目標に多角的な試算をしたうえでのやむを得ない結果である。」と回答した。その他、労組の一九の提案・要望のうち、退職金を給与の構成に入れ、出向手当てについて条項を設けるという提案については被告も同意したが、その余の提案・要望のうち、高卒初任給の引き上げ等一三の提案・要望については、被告は、労組の要望ないし提案を受け入れられないと回答し、一時金(賞与)の計算対象期間を給与規程に盛り込む等五つの提案・要望については賃金協議会における協議事項としてはなじまないから引き続き団交等の場で協議を続けて行くということになった。また、勤続給・資格給は四月一日現在の実年齢を適用し、従前の退職金の乗率表には勤続三六年分しか項目がなかったので、これに勤続三七年目以降四二年目までを加えた別紙3記載の退職金乗率表のとおり改訂すること等が合意された(<証拠・人証略>)。

(五) 労組は、昭和六二年六月九日に行われた臨時大会で、新賃金体系に同意することとした。なお、同月三日付けで発行された組合ニュースには六〇歳定年制即時実施を強く求める記事が掲載されていたが、臨時大会の翌日の同月一〇日付けで発行された組合ニュースには、段階的定年延長制の導入に反対する旨の記事や六〇歳定年制の即時実施を求める旨の記事は掲載されなかった(<証拠略>)。

また、同月一九日付けの組合ニュースには、「新賃金体系報告シリーズ、定年延長にともなう退職金乗率改定、定年延長で最長四二年一か月就労する人がでます。そのための新しい乗率です」と記載した上、賃金協議会で合意されたのと同様の勤続三七年目から四二年目までの退職金乗率表(別紙3と同じ。)が掲載された(<証拠略>)。

さらに、同月二五日付けの組合ニュースには、「夏の一時金妥結を決め、八六年末一時金・期末一時金など労使間の係争が全て解決に至る。」「労使間の係争一掃後は、意気高く三五周年を迎えよう。」と記載されていた(<証拠略>)。

(六) 賃金協議会における交渉の結果、昭和六二年七月、被告と労組との間で、同年六月一一日に遡って、新賃金体系についての協定書と本件段階的定年延長制等についての覚書をそれぞれ作成することに合意し、同日付けで作成された本件協定書と本件覚書に、被告の渋谷吉民社長(当時)と労組の津村賢執行委員長がそれぞれ記名押印した。

(七) 本件協定書では、社員の年令給や勤続給等は六〇歳までのものが作成されており、退職金については別に定める退職金支給規程によることとされた。そして、本件覚書は、「新賃金体系の概説」「定年延長について」「その他」の三項目からなり、「新賃金体系の概説」の項目は、本件協定で合意された新賃金体系の概説そのものであり、定年延長に関連する体系は別紙(「定年延長について」)によることとされている。そして、「定年延長について」の項目において、別紙4記載の内容の本件段階的定年延長制が説明されている。そして、「その他」の項目には、被告と労組とが賃金協議会において合意した勤続給・資格給は四月一日現在の実年齢を適用し、退職金の乗率表について勤続三七年目以降は、別紙3(略)記載の退職金乗率表のとおりとすること等の事項が記載されている(<証拠略>)。

(八) 被告の総務局人事部は、昭和六二年六月二二日付けのRAB労務情報において、労使間において新賃金体系の実施について合意に達し、新賃金体系に基づいて給与が支給されることや勤続三七年目以降の退職金乗率の追加分として本件覚書と同様の退職金乗率表(別紙3と同じもの。)を掲載して公表した(<証拠略>)。

(九) 被告は、昭和六三年四月一日、本件覚書に基づき、本件就業規則を改定して、その六五条に本件段階的定年延長制についての規定を設け、同日から本件段階的定年延長制を実施した(<証拠略>)。

(一〇) 原告は、昭和六三年一〇月一三日に五五歳となったが、その時点において、会社から原告に対し定年により退職してもらうという話はなく、また労組から会社に対し、原告を引き続き雇用するようにとの要望が出されたこともなかった(人証略)。

2(一)  右で認定した本件協定書及び本件覚書作成に至る経緯、本件協定書と本件覚書の内容並びに本件協定及び本件覚書作成後の被告と労組の対応等を総合考慮すれば、本件覚書を取り交したことにより、被告と労組との間において本件段階的定年延長制導入について合意が成立したものと認めるのが相当である。

そして、被告は、右合意に基づいて、本件就業規則六五条に本件段階的定年延長制についての規定を設けたものである。

(二)  この点について、原告は、被告の、段階的定年延長制に関する本件覚書は、段階的定年延長制と新賃金体系の実施を一体のものとしているとの主張に対し、労組は段階的定年延長制に反対していたものであり、労使の合意として労働協約としての法的性格を持つ本件協定書の内容は賃金体系に限定しており、段階的定年延長制については、被告が実施する予定である定年延長は段階的定年延長制であることを明確にしておくために覚書として残しておいたものであり、労組が段階的定年延長制に合意したことはないと主張し、右主張に沿う(証拠・人証略)及び原告本人尋問の結果(以下「証人津村の供述等」という。)が存在する。

しかしながら、証人津村の供述等は、次の理由によりにわかに信用することができない。

(1) まず、(人証略)の供述等によれば、本件覚書は、被告が実施する予定である定年延長は段階的定年延長制であることを明確にしておくために作成したものということになるが、前認定のとおり、被告が実施する予定である定年延長が段階的定年延長制であることは、被告が、昭和六二年四月一五日、労組に対し、「新賃金体系のおとどけについて」と題する書面を交付した段階から明確であり、その姿勢は賃金協議会の席でも一貫していたのであるから、被告が殊更これを自己確認的なものとして覚書の形で残す必要性は特に認められず、ましてや、本件覚書がそのような性格のものであるならば、労組の側において、書面に押印する必要はなかったはずである。

(2) また、本件協定では、新賃金体系として六〇歳の定年を予定しているが、証人津村の供述等のとおり被告と労組との間で本件段階的定年延長制について合意に達しなかったとすれば、被告と労組との間の定年問題については従来通り五五歳定年制が継続されることになるのであるから、新賃金体系としては五五歳までのものを作成すれば足りるのであって、わざわざ六〇歳までの賃金体系を作成する必要はないことになる。

(3) また、証人津村の供述等によれば、賃金協議会において、労組の二〇項目の提案・要望のうち、出向手当てを給与規程において明文化することを被告が承諾したこと以外のものは、六〇歳定年制即時完全実施という労組の提案を含めそのほとんどが合意に達しなかったということになるが、当初被告の給与規程案に対し労組が提案・要望したが被告において承諾しなかった事項については本件協定によって被告と労組との間で合意に達していることからすれば、定年延長問題を含め、労組が提案・要望した事項(出向手当に関する部分を除く。)のほとんどについて合意が成立しなかったということにはならない。

(4) さらに、証人津村の供述等によれば、本件覚書は被告と労組とで合意に達しなかった項目を被告の説明文書として作成したものであるということになるが、本件覚書の「その他」の項目には、前認定のとおり、会社と労組とが賃金協議会において合意した事項が記載されているのであるから、本件覚書が被告と労組とで合意に達しなかった項目を被告の説明文書として作成したものであるということはできない。

(5) また、証人津村の供述等によれば、賃金協議会において、定年延長の協定書は作成しないことで被告と労組とで合意に達したということになるが、賃金協議会の協議事項(記録)(<証拠略>)や、その作成のもととなった文書(<証拠略>)には、そのような記載は全くない。

(6) また、証人津村の供述等によれば、被告は、賃金協議会の席上、新賃金体系の実施と段階的定年延長制を一体のものとして実施するという意向で臨んでいたところ、最後の段階に至って段階的定年延長制の導入を断念したことになるが、被告が段階的定年延長制の導入がされないまま新賃金体系のみ実施するということは、従前の経緯からして考え難いところ、被告において急に従来の方針を変更して段階的定年制を断念するだけの特段の事情があったとは認められず、また、労組は、その方針として六〇歳定年制即時完全実施を要求していたとしても、被告が段階的ではあるものの六〇歳定年制実施の提案をしていた状況に鑑みると、労組においてあくまで六〇歳定年制即時完全実施にこだわって本件段階的定年延長制に反対したとすれば、結果的に従来の五五歳定年制を継続させる事態を招来することになるのであるから、果たして労組がそのような対応の仕方を選択したのか疑問がある。

以上のとおりであるから、証人津村の供述等は信用することができない。

(三)  なお、原告は、被告と労組との間で本件覚書を取り交した後も労組は被告に対し六〇歳定年制の即時実施を要求していたとして、本件覚書を取り交したことによっては本件段階的定年延長制について合意が成立したことにはならないと主張しているところ、証人津村の供述等によれば、昭和六二年七月に本件覚書を取り交した後の同年一一月六日に労組は被告に対し六〇歳定年制の即時実施を要求したことが認められる。

しかしながら、労組としては本件段階的定年延長制について被告と一応合意した後にも引き続き六〇歳完全定年制の実施を求めていくことは不自然ではなく、昭和六三年一二月一六日付け組合ニュース(<証拠略>)や平成元年一月一〇日付けの組合ニュース(<証拠略>)には、原告に対する賞与が五四歳以下の社員の支給率の半額であったことに関し、労組は本件段階的定年延長制実施当時から六〇歳定年制即時実施を要求しているとの記事が掲載されているが、本件段階的定年延長制が労組の同意なくして一方的に実施されたものであれば、労組としては、その実施に同意したことはないから不当であるとの記事を掲載するのが自然であるのに、そのような記事は掲載されていないことからすると、労組が本件覚書を取り交した後に六〇歳完全定年制の即時実施を要求していたことをもって本件段階的定年延長制についての合意の成立を否定することはできない。

(四)  もっとも、新賃金体系は協定書として作成されたのに対し、本件段階的定年延長制は、協定書としてではなく覚書として作成されたものであるところ、この点について、証人長谷川孝典は、「新賃金体系については給与規程の改定ということであり、給与規程の改定は従前から協定を交わすことになっていたので、協定書を作成したが、新賃金体系の概説や定年延長に関する事項は、覚書として作成することになった」旨供述している。長谷川証人の右供述は、それ自体必ずしも不自然であるとはいえないし、前記本件協定及び本件覚書作成に至る経緯、本件協定書と本件覚書の内容を考慮すれば、本件覚書は、被告と労組との間の合意文書として作成されたものと認められ、本件覚書が、本件協定書とは別個に作成されたことをもって、被告と労組との間の合意文書としての性格を失わせるものであるということはできない。

(五)  結局、労組としては、六〇歳定年制即時完全実施が目標ではあったが、本件段階的定年延長制については、新賃金体系の実施により労組員の給与水準が従前より向上し、また、段階的にではあっても従前の五五歳定年が延長され、労組員に不利益なものではなかったことから、本件段階的定年延長制に不満はあるものの結果的にはその実施を承諾したものであり、本件覚書は、本件協定を補充するものとして被告と労組との間の合意文書として作成されたものと認めるのが相当である。

なお、本件覚書は、被告と労組間において本件段階的定年延長制の実施その他の労働条件に関する合意を書面化して双方の代表者が記名押印したものであるから、労働協約の性質を有すると解するのが相当である。

そして、原告は、労組の組合員であったから、本件覚書の効力は原告にも及ぶものである。

二  争点1(二)(本件段階的定年延長制を定めた本件就業規則六五条は無効であるか)について

1  本件段階的定年延長制は公序良俗に違反するかについて

(一) 原告は、本件段階的定年延長制は、憲法の保障する生存権・労働権並びに平等権を侵害し、労働基準法の差別禁止規定の趣旨にも反するものであり、一般企業及び民放他社の六〇歳定年制の実施状況に鑑みれば、国際・国内で確立した社会的コンセンサスに背くものであり、また、被告は六〇歳完全定年制を実施できる財務内容を持ちながらそれを実施しないことは高年齢者雇用安定法に定める努力義務に違反するものであるから、結局、本件段階的定年延長制は、到底合理性を持ち得ないものであり、民法九〇条の公序良俗違反として無効であると主張するので、この点について判断する。

(二) 証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) 昭和五五年、ILO(国際労働機構)で「中高年労働者に関する勧告」が採択された(<証拠略>)。また、労働省の「雇用管理調査」によれば、昭和五五年一月現在において、一律定年制を定めている企業のうち、六〇歳以上を定年年齢としている企業は三九・七パーセント、五五歳を定年年齢としている企業は三九・五パーセントであり、今後定年年齢を改定予定のもの及び改定を検討中のものを加えると、近い将来に六〇歳以上定年制を有することになる企業は四七・五パーセントになるという結果が出された。そして、昭和五六年の雇用審議会答申第一六号において、定年延長は高齢化社会の進展のもとで実現すべき社会的要請であるという指摘がされた(<証拠略>)。

(2) その後行われた労働省の「雇用管理調査」によれば、昭和五七年一月現在において、一律定年制を定めている企業のうち、六〇歳以上定年制を採用する企業は四五・八パーセント、五五歳定年制を採用する企業は三五・五パーセントであり、今後定年年齢を改定することが決まっている企業及び改定することを予定している企業を加えると、近い将来に六〇歳以上定年制を有することになる企業は五六・九パーセントになるという結果が出された。そして、昭和五七年の雇用審議会答申第一七号において、定年延長は大企業を中心に全体として着実に進展しているとされたが、定年延長の法制化問題については直ちにこれを立法化することには問題があるとされた(<証拠略>)。

(3) 昭和六〇年の雇用審議会答申第一九号において、昭和六〇年一月現在において定年が六〇歳以上の企業の割合は五五・四パーセント、今後定年を六〇歳以上にすることを決定又は予定している企業を含めるとその割合は六八・七パーセントであり、今や六〇歳定年が主流となっているとした上で、高年齢者の雇用・就業の場の確保の実現のために六〇歳定年及び六〇歳台前半層を含めた高年齢者の雇用・就業の場の維持・拡大の推進に関する規定を設けるという体系の法的整備を図ることが妥当であるとされた。右答申を受けて、昭和六一年四月一一日に、高年齢者等の雇用の安定等に関する法律(高年齢者雇用安定法)が制定され、同法四条において、定年を定める事業主に定年が六〇歳を下回ることのないように務めるべきであるという努力義務規定が置かれた(<証拠略>)。

(4) 高年齢者雇用安定法制定後、我が国で一律定年制を定めている企業のうち六〇歳以上定年制を実施している企業の割合は、昭和六二年度は五八・七パーセント、昭和六三年度は五八・八パーセント、平成元年度は六一・九パーセント、平成二年度は六三・九パーセント、平成三年度は七〇・八パーセント(六〇歳以上定年制への改定が決定又は予定されている企業を含めると八五・七パーセント)となっている(<証拠略>)。

(5) また、高年齢者雇用安定法制定後の青森県内の常用労働者一〇〇人以上の規模の民間企業三一一社中、一律定年制を定めている企業における六〇歳以上定年制の実施状況は、昭和六二年度は八一社(三四・三パーセント)、昭和六三年度は九二社(三七・七パーセント)、平成元年度は一〇六社(三九・三パーセント)となっている(<証拠略>)。

(6) 昭和六三年一二月現在において被告と同様テレビ放送を業としている民放会社一〇一社(被告を含む。)の一般職員の定年制の実施状況は、五五歳完全定年制を採用する会社が四二社(四一・六パーセント)、五六歳完全定年制を採用する会社が三社(三・〇パーセント)、五七歳完全定年制の会社が四社(四・〇パーセント)、五八歳段階的定年延長制の会社が一社(一・〇パーセント)、五八歳完全定年制の会社が五社(四・九パーセント)、五九歳完全定年制の会社が一社(一・〇パーセント)、六〇歳段階的定年延長制の会社が一七社(一六・八パーセント)、六〇歳完全定年制の会社が二六社(二五・七パーセント)、その他(但し、六〇歳未満定年制である。)が二社(二・〇パーセント)であった。

その後、右の六〇歳完全定年制を採用していなかった、あるいは六〇歳完全定年制へ段階的に移行中であった七五社のうち、三六社は六〇歳完全定年制を採用、あるいは六〇歳完全定年制への移行が完了したため、右一〇一社のうち現在六〇歳完全定年制を採用している会社は六二社(六一・四パーセント)となっているが、その余の三九社は現在でも六〇歳完全定年制を採用していない(<証拠・人証略>)。

以上の事実が認められる。

(三) 右認定事実によれば、我が国において六〇歳以上定年制を採用している企業の割合は昭和六〇年一月現在の五五・四パーセントから平成三年度には七〇・八パーセントにまで増加し、この傾向は現在でも続いていると認められるが、いまだ六〇歳以上定年制を採用していない企業も多数あることが認められ、また、青森県における六〇歳以上定年制の普及率は我が国における平均的な普及率よりも低く平成元年度において三九・三パーセントであり、なお六〇歳未満定年制を採用している企業が相当数あり、さらに、昭和六三年における民放一〇一社のうち、六二社は六〇歳完全定年制を採用しているものの、なお、三九社は六〇歳未満定年制を採用していることが認められる。

ところで、労働者の定年制自体は、人事の刷新・経営の改善等、あるいは企業の組織及び運営の適正化のために設けられるものであり、多くの企業が定年制を採用していることからすれば、一般的にいって不合理な制度とはいえない。

そして、右認定のとおり、我が国の一般企業及び民間放送会社において六〇歳完全定年制がほぼ完全に普及し、普遍化しているとまでは認められない現状では、六〇歳完全定年制が我が国社会の公の秩序(国家社会の一般的秩序)を形成しているとまで認めることはできない。したがって、我が国の一般企業及び民間放送会社が採用している定年制の実情に照らせば、被告の採用した本件段階的定年延長制が社会的妥当性を欠き不合理なものということはできない。

そうすると、本件段階的定年延長制を定めた本件就業規則六五条は、本件段階的定年延長制が実施された昭和六三年四月の時点及び原告が五六歳になった平成元年一〇月の時点においても、公の秩序に反して無効であったということはできない。

(四)(1) なお、原告は、六〇歳定年制について定めた高年齢者雇用安定法四条は厳格な努力義務規定であると解し、被告において六〇歳完全定年制を実施することができない特段の事情がないにもかかわらず六〇歳未満定年制を採用することは、公序良俗違反を裏付ける事情になると主張する。

確かに、高年齢者雇用安定法四条は、定年を定める事業主に定年が六〇歳を下回ることのないように努めるべきこととした上で、六〇歳未満の定年を定めている事業主であって、六〇歳未満の定年を定めることについて特段の事情がないと認めるものに対し、労働大臣は当該定年を六〇歳以上に引き上げるよう要請することができ(同条の二第一項、二項)、労働大臣は右要請をした後に当該要請に係る定年の引き上げの促進を図るうえで必要があると認めるときは、事業主に対し定年の引き上げに関する計画の作成を命ずることができる(同条の三)等の規定を設け、更に事業主に右計画作成命令に対する不服従、不提出や、計画適正実施勧告に対する不服従があるとき、労働大臣はその旨を公表することができる(同条の二第四項)と定めているが、右努力義務は行政措置の対象として位置付けられているに過ぎず、定年延長については事業主の自主性を基本的に尊重する姿勢を示していることからすれば、同法四条は、事業主と労働者との間に直接私法上の効力ないし規範的効力を及ぼすものではないと解するのが相当であり、これを厳格な努力義務規定と解して事業主の右義務に違反する行為は直ちに公序良俗違反を裏付ける事情となるとの解釈を採用することはできない。

(2) 原告は、被告が、六〇歳完全定年制を実施できるだけの財務的余裕があるにもかかわらず、本件段階的定年延長制の見直しをせず、六〇歳完全定年制を即時実施しないことを非難するものであるが、労組が六〇歳完全定年制の即時実施を要求し、被告においてこれを採用できるだけの財務的余裕があるとしても、六〇歳定年制が社会の公の秩序を形成しているとまでは認められない実情では、被告が即時六〇歳完全定年制を実施しなかったとしても、定年延長に伴う問題として、人件費の増大、人事の停滞等企業の賃金体系や人事管理を見直す必要があることを考慮すると、その経営方針・理念の当否はともかくとして、違法となることはないというべきである。

(五) 以上のとおりであるから、本件段階的定年延長制が公序良俗に違反するとの原告の主張は理由がない。

2  本件段階的定年延長制は労働協約に違反するかについて

(一) 原告は、六〇歳定年延長問題をめぐる被告と労組との間の交渉の経過からすれば、被告と労組との間において六〇歳定年制の実施時期について「法律制定の時」という暗黙の合意ないし実質的に合意が成立したと同視し得る事情があり、これにより労働協約が成立したと主張するので、この点について判断する。

(二) 前記一1(一)認定のとおり、労組は、昭和三八年から定年を五五歳から六〇歳に延長するように被告に要求し、昭和五四年からは定年延長問題を積極的に取り上げることになり、被告においても同年一一月に行われた労組との団体交渉の席上、奈良和麿常務(当時)が「法的に決まればそれに従う。」と発言し、昭和五九年に行われた被告と労組との間の団体交渉の席において、労組から定年延長を要求したところ、奈良和麿専務(当時)は「定年延長は法律ができれば一気にやる。」という発言(以下「奈良発言」という。)をし、昭和六〇年一〇月に行われた被告と労組との間の団体交渉においては、定年延長について「法制化されれば尊重する。」旨表明したことが認められる。

(三) 右奈良和麿専務の「定年延長は法律ができれば一気にやる。」という発言の真意について、証人長谷川孝典は、「定年延長については新賃金体系を実施する時に一気に定年延長も発表したいという趣旨である」旨証言し、これに沿う(証拠略)が存在する。しかしながら、被告と労組との間の右交渉の経緯及び奈良発言の内容を考慮すれば、奈良発言の意味は、定年延長と新賃金体系の実施とを同時に行いたいという趣旨のものと解するよりは、むしろ、法律ができれば六〇歳定年制を一気に実現したいという趣旨のものと解するのが相当である。

しかしながら、右奈良発言の内容を右のとおり解するとしても、右発言内容を被告と労組との間で労働協約として文書化し調印したものではないこと、当時六〇歳定年延長問題は検討の段階にとどまっていたこと及び定年を延長した場合には企業の賃金体系や人事管理を見直す必要があるところ、当時従業員の身分や給与等について見直しの具体的な話がされていた訳ではないことを考慮すると、右奈良発言は、法律が制定された時に六〇歳定年制を実現したいという被告としての姿勢を示したものにすぎないと認めるのが相当である。

したがって、奈良発言をもって、被告と労組との間に六〇歳定年制の採用について黙示の合意ないし実質的に合意が成立したと同視し得る事情があり、これにより労働協約が成立したものと認めることはできない。

3  本件段階的定年延長制は原告の期待権を侵害するかについて

原告は、被告と労組との間の定年延長を巡る交渉の経過から、高年齢者雇用安定法の成立・施行に伴い、被告において六〇歳定年制が実施され、原告が六〇歳に達するまで雇用が継続されるという期待を持つに至ったのであるから、本件段階的定年延長制は原告の右期待権を侵害するものとして無効であると主張する。

確かに、原告本人尋問の結果によれば、原告が被告と労組との間の定年延長を巡る交渉の経過から、高年齢者雇用安定法の成立・施行に伴い、被告においても六〇歳定年制が実施され、原告が六〇歳に達するまで雇用が継続されるという期待を持っていたことが認められるが、前記一1認定の事実を総合すれば、原告の右期待を、期待権として法的保護に値するものとまでは認められない。

したがって、原告の右主張は、理由がない。

4  本件段階的定年延長制は不当労働行為にあたるかについて

原告は、被告が原告を再雇用しなかったのは不当労働行為にあたるから、このような不当労働行為を可能にした本件段階的定年延長制も不当労働行為として無効である主張する。

しかしながら、本件段階的定年延長制は被告と労組との間の合意により成立したものであり、また組合員以外の被告の従業員にも本件段階的定年延長制が適用され、組合員であると否とにかかわらず定年年齢に達した従業員は退職しなければならないのであるから、本件段階的定年延長制が不当労働行為にあたるとは到底いえない。

原告は、原告が被告に再就職できなかったことが不当労働行為にあたるとして本件段階的定年延長制の不当労働行為性を主張するが、本件段階的定年延長制により原告が退職しなければならなかったことと原告が被告に再就職できるかどうかとは全く別個の問題であるから、原告が被告に再就職できなかったことは本件段階的定年延長制の効力になんら影響を与えるものではないというべきである。

したがって、原告の右主張も理由がない。

5  以上のとおり、被告と労組との間に本件段階的定年延長制について合意が成立し、これに基づいて改訂された本件就業規則六五条は、原告の主張するような無効事由はなく、有効である。そうすると、原告は、平成元年一〇月一三日に五六歳となった(争いがない。)から、その日をもって被告の従業員たる地位を喪失したことになる。

したがって、争点1(三)(本件段階的定年延長制について合意がない場合、あるいはまた、本件就業規則六五条が無効である場合、被告において六〇歳定年制が適用されるか)について判断するまでもなく、原告の請求の趣旨一及び同二の各請求は、いずれも理由がない。

三  争点2(原告は、被告に対し、未払いの賞与として請求の趣旨三記載の金員の支払請求権を有するか)について

1  本件半額条項の有効性について

(一) 本件給与規程四一条は、賞与は原則として毎年六月と一二月に支給すると規定した上、本件覚書に基づき、同規程四六条三号において五五歳以上の従業員の賞与の額は、五四歳以下の従業員の支給方式によって計算された基礎支給額の五〇パーセントを支給する旨規定されている(本件半額条項)。(平成二年(ワ)第三六七号事件の<証拠略>)

原告は、本件半額条項のように従業員の年齢が五五歳を超えた途端にその賞与について五四歳以下の従業員の賞与の半額に切り下げるということは、条理にかなったものとはいえず、しかも、被告においては、五五歳以上の従業員についても、従前の職種からはずすことなく、五四歳時と同様の労務を提供させているのであり、賃金が労働の対価であることに鑑みれば、五四歳と同様の賞与を受け取ることは当然であり、それを半額とするにはなんらかの合理的な理由が必要であるが、そのような理由は存在しないから、本件半額条項は無効であると主張する。

しかしながら、本件半額条項は、被告と労組との間で取り交された本件覚書に基づき、本件給与規程四六条三号として規定されたものであるところ、労働条件の集合的処理を建前とする就業規則の性質からいって、当該条項が合理的なものである限り、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒むことはできないと解すべきである。

そこで、本件半額条項が合理的なものであるか否かについて検討する。

(二) 証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) 本件半額条項は、被告において、従業員の定年延長という利益を図りつつ、企業維持の観点から人件費の増大等に対処するため賃金体系を見直す必要があることから、労組との調整と合意のもとに設けられた(<証拠・人証略>)。

(2) 民放会社(但し、被告と同様テレビ放送を業とする会社。)で六〇歳定年制を採用している会社で、かつ、五五歳以上の従業員の賃金(各種手当てを除く。)と五四歳時の賃金(各種手当てを除く。)の割合及び五五歳以上の従業員の賞与の支給率と五四歳以下の従業員の支給率の割合が判明している四三社のうち、<1>五五歳以上の従業員の賃金は五四歳時の賃金より減少し(減少の割合は一〇ないし三〇パーセントの範囲内の会社が多い。)、また、賞与についても五四歳以下の従業員に対する支給率より低い(減少の割合は三〇ないし四〇パーセントの範囲内の会社が多い。)会社は二〇社であり、<2>五五歳以上の従業員の賃金は五四歳時の賃金より減少するが、賞与については五四歳以下の従業員に対する支給率と同じである会社は一社であり、<3>五五歳以上の従業員の賃金は五四歳時の賃金より低くはならないが、賞与については五四歳以下の従業員に対する支給率より低い会社は六社であり(一〇パーセント減の会社が一社、三五パーセント減の会社が一社、五〇パーセント減の会社が三社、その他が一社)、<4>五五歳以上の従業員の賃金は五四歳時の賃金より低くなることはなく、また、賞与についても五四歳以下の社員に対する支給率と同じである会社は一六社である(<証拠略>)。

(3) 被告においては、五五歳以上の従業員の給与は、賞与については五四歳以下の従業員の支給方式によって計算された基礎支給額の五〇パーセントが支給されるにとどまるものの、賃金のうち、本給については、定期昇給及びベース・アップこそ行われないものの五四歳時の本給を固定して支給され、本給以外の各種手当等については五四歳以下の従業員と同様支給されることとなっている。その結果、満五四歳から満五五歳時までの一年度の月例賃金と賞与を含んだ給与総額(時間外手当は除く)と定年延長後の一年度の給与総額との比率(後者の前者に対する割合)は、平成元年度の退職者九名(原告を含む。)の平均では八四・一パーセント、平成三年度の退職者一〇名の二年分の平均では八三・六パーセントである。また、退職金については、本給を基礎として勤続年数に通算して支給されることになっているから、定年延長にともない退職金支給額も増加する(<証拠・人証略>)。

以上の事実が認められる。

(三) 右認定のとおり、本件半額条項は、被告において、本件段階的定年延長制の実施に伴い、賃金体系の見直しの一環として、これを導入する必要性があり、これにより、被告における五五歳以上の従業員の賞与は五四歳以下の従業員の支給方式によって計算された基礎支給額の五〇パーセント支給されるにとどまるものの、月例賃金を合わせた給与総額の減少は二〇パーセント未満にとどまるものである上、本件段階的定年延長制により段階的ではあるが五五歳以降も勤務を続けることが可能となり、しかも退職金支給額も増加することや被告以外の会社の五五歳以上の従業員に対する給与の支給状況等を考慮すると、本件半額条項は合理性を有するものであるということができる。

したがって、原告の右主張は理由がない。

2  本件賞与協定について

(一) 証拠によれは次の事実が認められる。

(1) 労組は、昭和六三年一一月二日、被告に対し、同年の年末賞与について本給と資格給の合算額の五・三か月分の支給と五五歳以上の従業員の賞与は五四歳以下と同等に支給すること等一七項目の要求を提出した。これに対し、被告は、同月一五日、年末賞与として本給の四・〇か月分を支給するが、その他の労組の要求についてはこれに応じない旨の回答を労組に伝えた。なお、同年一二月の賞与は、原告及び労組にとって本件半額条項が初めて適用される予定であった(<証拠・人証略>)。

(2) 労組は、同月二一日、被告に対し支給率の上積み等を要求したところ、被告は、同月二五日に本給の四・一か月分を支給する旨の回答をしたが、その余の労組の要求については第一次回答と同じ対応であった。そして、同月二八日に労組は一時間の時限ストを行った(<証拠・人証略>)。

(3) 被告は、同年一二月二日、労組に対し組合員一人平均の年末賞与として本給の四・五か月分にあたる一四七万五〇五〇円を支給する旨の最終回答をした。右金額は、原告に対しても本給の四・五か月分の賞与が支給されるものとして算出された金額であり、原告に対し本件半額条項により本給の二・二五か月分の賞与が支給される場合の平均支給額は、右金額より少なくなる。労組は、被告の最終回答の組合員一人平均の金額が原告に対しても四・五か月分支給される場合に算出される金額であったことから、被告が労組の要求を入れて原告に対しても五四歳以下の従業員と同等に支給することにしたものと考えた。しかし、被告において、原告に対し、本件半額条項を適用しないで右同等支給をすべき事情は格別存在しなかった(<証拠略>、平成二年(ワ)第三六七号事件の<証拠・人証略>)。

(4) 被告と労組は、同月一二日に被告の最終回答のとおり年末賞与を支給する旨の協定(本件賞与協定)を締結した。その際に取り交された協定書は被告において作成したものであった(平成二年(ワ)第三六七号事件の<証拠・人証略>)。

(5) 被告は、原告に対し、昭和六三年一二月一四日に年末賞与として本給(金四〇万二六〇〇円)の二・二五か月分にあたる九〇万五九〇〇円を支給した(争いがない。)。そこで、労組は、被告に対し、原告の年末賞与の額が本件賞与協定の半額になっていると抗議したところ、被告は、「従来どおりやったものだからなんの問題もない。」旨回答し、残額の支払に応じなかった(<人証略>)。

以上の事実が認められる。

(二) 右認定の事実によれば、本件賞与協定に表示された金額は、原告を含む全組合員について本給の四・五か月分の賞与が支給されることを前提として算出された組合員一人あたりの平均支給額を表示したものであって、これによれば、原告に対しても五四歳以下の従業員と同様本給の四・五か月分の賞与が支給されることを表示したものと解されるところ、被告は、本件賞与協定は、被告としては従来の慣行として協定書に記載された組合員一人平均支給額の算定にあたり、誤って原告を五四歳以下の組合員の一人として頭数の対象とし、全組合員について本給の四・五か月として計算したものであり、表示行為に錯誤があったと主張する。

確かに、原告は、労組の組合員の中で初めて本件段階的定年延長の対象者となったものであり、昭和六三年一二月の賞与について本件半額条項が適用されることが予想されたところ、それまで本件半額条項の見直しを示す姿勢を全くしていなかった被告が、第二次回答において五四歳以下の従業員につき本給の四・五か月分の支給回答をするにあたり、原告に対し、いきなり本件半額条項の適用を見直して五四歳以下の従業員と同じ割合の賞与を支給するに至るだけの特段の事情は存在しなかったこと、また、証人長谷川孝典は、原告に対しては本件半額条項の適用があるということで本来ならば本件協定の組合員一人平均支給額の算定にあたり原告に対する支給額を考慮して計算すべきところを原告を含めた組合員全員について本給の四・五か月分として計算してしまったこと、労組に対し「原告には一〇〇パーセント支給して五〇パーセント返してもらう。」と説明した旨証言していることからすると、被告は、本件賞与協定の組合員一人平均支給額の算定にあたり、誤って原告を五四歳以下の組合員と同様に扱い、原告につき本件半額条項を適用しないで、原告を含む全組合員について本給の四・五か月として計算したものと認めるのが相当である。

そうすると、賞与の支給額は、本件賞与協定の重要な要素であり、この点についての被告の錯誤は表示の錯誤に該当するというべきである。

(三) しかしながら、被告としては、原告が五五歳以上の従業員であること及び労組が当初から五五歳以上の従業員に対しても五四歳以下の従業員と同等の賞与を支給すべきであると要求していたことを認識していたのであるから、最終回答を作成するにあたっては、本件半額条項に基づいて原告について五四歳以下の従業員の半分の支給になることに留意して組合員一人平均の賞与の額を算出する必要があったものであり、また、年末賞与に関するRAB労務情報(<証拠略>)や本件賞与協定書を作成した際にその計算に誤りがあることは容易に判明するものであったことからすれば、被告は、労組との間で本件賞与協定を締結するにあたり、表示の錯誤があったことについて重大な過失があったというべきである。

したがって、被告は、本件賞与協定のうち、原告に対する賞与支給額の算定について錯誤による無効を主張することはできない。

(四) そうすると、被告と労組との間においては、本来本件覚書及びそれに基づく本件半額条項により、五五歳以上の従業員に対する賞与は五四歳以下の従業員に対する支給額の半額とすることになっているが、本件賞与協定は、労働協約として締結され、しかも、本件覚書を取り交した後に締結されていることからすると、本件賞与協定は、本件覚書及び本件半額条項に優先する効力を有すると解すべきである。

したがって、原告は、本件賞与協定に基づき、被告に対し未払いの賞与として金九〇万五八〇〇円の支払請求権を有している。

四  結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、未払賞与金九〇万五八〇〇円及びこれに対する昭和六三年一二月一五日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小野剛 裁判官 今井攻 裁判官 田邊浩典)

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